「面白い」と「楽しい」の体現

こんにちは!AnotherVision 11期の🦐えびちゃん*1です! 12月ももう折り返しですね〜 おこたでみかんでも食べたい時期です(っ'-')╮=͟͟͞͞🍊ブォン

実は私、文章を読むのも書くのも大の苦手なんですが、、、頑張って書いていきます*2

早速本題に入っていくんですが、何かをしていて「面白い!」とか「楽しい!」と感じることは誰しも経験する事ですよね。しかしその「面白い」や「楽しい」はとっても抽象的。 (個人的に「ヤバい」の半分はこの2つで出来てると思ってます) そこで、今回はこの点を深堀りしていこうと思います。

具体的に言語化してみよう

そもそも「面白い」「楽しい」とは、どんな感情なんでしょう。(すぐさま辞書を引く)

面白い
  • 興味をそそられて、心が引かれるさま
  • 心が晴れ晴れするさま。快く楽しい。

つまり、面白いとは触れたものに対して、興味をそそられ、快いと感じること、と言えるようです。これは英語で「面白い」という意味の "interesting" が「興味」を意味する "interest" から派生したものであることからもわかりますね。ふふっ、知的でしょ? キ🧐リッッ

楽しい
  • 満ち足りていて、愉快な気持ちである。

そうです、ここからもわかるように、「楽しい」は満足していると感じて初めて実現されるのです。そして愉快な気持ちになる、それが「楽しい」ということなのです。

では、「面白い」と「楽しい」の輪郭がある程度見えてきたところで、このような感情はどんな時、どんな状況で感じられるのかを考えていきたいと思います。

どんな時に感じるんだろう?

まずは、下の画像を見てみてください。

これは先日 Twitter(現X)にて他でもない私が投稿したものです。面白いでしょ??
(°∀°(。_。 )< ウンウン

そう、皆さんは今、紛れもなく「面白い」と感じたのです。ここからは私の経験と考察に留まってしまいますが、この「面白い」は

負の感情を喚起せず、かつ自分の頭の中にはなかった、思いもよらぬ事実 (今の場合、ダジャレ) に触れた時

に感じる「面白い」だと思います。(以下 : 受動的面白さ) これは人間に備わる知的好奇心に起因するものでもあるのかな〜と考えると、新しい知識を得てそれを武器に競い合う「クイズ」という文化が昔から今までずっと残っているのも納得ですよね。私も少し前までその「面白さ」に惹かれて没頭していたことです。*3

一方、次のような状況を考えてみましょう。
謎解きをしていて、ずーーーっと考えに考え続けてやっとこさ正解がわかった時・「こうじゃないかな」と思いながらやった行動が正しかった時。
よっっぽどギミックや解き方に納得いかない、とかではない限り、「うわ!おもろ!」となりますよね。私もパッと解けない謎に出会った時にはその「うわ!おもろ!」を実感したい気持ちと早く答えを知りたい気持ちが交差してよくもどかしくなります。
この時に感じる「面白い」は

1. 期待 ( ≒ 予想 ) 通りに物事が起こった時、特にそれが自分の力で実現された時
2. 知りたい、分かりたいと感じていた疑問が解決された時、特にそれが自分の力で実現された時

に感じる「面白い」だと思います。(以下 : 能動的面白さ) 同様に謎解きで例えると、ある謎に興味をそそられ、解き始める。たくさん考えた先に正解を出せたことで、心が晴れやかになった (=快い)。その瞬間にその謎に対する「面白い」が爆発する、という具合ですね。これは他のチームメイトなどによって実現された場合でも、ひとつの「共感」として少なからず実感できることと思います。

そして、今挙げたいずれの「面白い」であれ、さらにそこへ一切の不満のない (=満足) 状況が実現されることで「楽しい」も現れてくるのです!! 🦐 デデーン!!!

さて「面白い」と「楽しい」が現れる状況を考察したところで、次は我々が謎解きを提供する者として、多くの方の「面白い」「楽しい」を如何にして引き出すことができるのか、という点について考えていこうと思います。

謎解きの提供者として「面白い」と「楽しい」を体現するには?

私がこの記事を書くにあたって皆さんと一緒に考え、追求したかったことは、まさにこの体現についてなんです。
提供者である限り、「面白い」や「楽しい」の意味をどれだけ考察しようと、それを謎解きという枠組みの中で体現させ、解いてくれる方に「おもろい!楽しい!」と感じてもらえるものを作れなければ意味がないというものです。ここではそれを実現しうる方法を具体的にいくつか考えてみます。

  1. 受動的面白さ
    これを実現するには典型から外れた世界観・システムが使えそうです。特にシステムに関しては、「日常ではできないこと・映画の世界くらいでしかできないこと」をプレイヤーの「行動」として組み込むことで、予想だにしない興味をそそるシステムが生まれ、所謂「やる前から面白い!」を体験させるにまで至るかもしれません。
    また、後出し、という感じがあるかもしれませんが、同じもので解き直しを何度もするといった「実装力」によっても、解いた方に「こんなことができるなんて...!」と受動的な面白さを感じてもらえると思います。

  2. 能動的面白さ
    これは実現方法に広い幅があると思います。例でいくつか挙げると、一見関係の無いようなことが裏に存在する論理によって繋がり、それが成功に直結するといった流れであれば、考えた先の「こうじゃない?」が期待通りにいくこと、そして「なんで?」という疑問が晴れたことによる快感から「面白い」が湧き出てくるでしょう。
    また、パズルや折り謎のようなひらめきではない思考を要するものであれば、そのルールを知った上で試行錯誤した先に正解を導けた時の達成感から「面白い」と感じてもらえそうです。 これは私のこだわりなのですが、紙面上で解くよりも実際に正解となる行動をする、というアクションを重視していて、その方がその行動をした後の達成感すなわち面白さが何倍にも増えると思うのです。

  3. 楽しさ
    ここ で書いたように、「楽しい」は各々の満足度に依存します。例えば上の能動的面白さの例を使うと、関係なさそうなことが繋がる、ということについては、全て分かった上で俯瞰したときの納得があってこそ満足、ひいては「楽しい」が実現されます。逆に、「正解は出せうるけど、ココの論理がよくわからない・無理やりすぎる・理不尽だ」という場合には満足、つまり楽しさはなく、まして不満が優ってしまうかもしれません。パズルについても同様です。ルールが難しすぎる・分かりづらいという場合には不満を抱かせてしまいます。
    つまり、「面白い」の要素を十分に導入した上で、プレイヤーの納得や理解の妨げになる要素を無くしていくこと、言うなればマイナス部分をゼロにする努力をすることで「楽しい」を実現することができる、ということです。
    やったねやったね、ここまで来れたぞ 🦐イェ~~イ!!

おわりに

ここまで「面白い」と「楽しい」についてつらつらと述べてきましたが、私がこれを書いたのは、「この記事が正しいんだもん!!」と主張するためでなく、これを見た皆さんと一緒に考えて、最終的にはより多くの人が「おもろい!楽しい!」と感じれるような作品がたくさん世に出るようになればいいなぁと思ってのことでした。
もしここまで飽きずに読んでくれた方は、ちょっとだけでも「面白い・楽しいってなんだろう?」と考える時間をつくってくれたらとっても嬉しいです!

それでは、ちょっとした「面白い」ものを残して去ろうと思います。またどこかで会いましょう!!ばいちゃ〜〜

*1:絵文字のエビは公式です。こんな名前しててエビアレルギーなんですって

*2:人生で文字だけの本を一冊も読んだことがないという異様な経歴を最近周りに言いふらしてます

*3:高校ではクイズ研究部に所属していて、2021年に高校生クイズ準優勝を果たしていたりする。huluでみれるよ